未来に起きる出来事なんて予測できないと多くの人は言います。
世の中で数えきれないほど多くの人や物が互いに影響し合っているので、そんな影響の結果として発生するイベントは予測できないというのは一理あるでしょう。
ただし、そこには次の2つの態度が生まれると思っています。
(1) 予測することを諦める
(2) 起きうる出来事の起こりやすさを分析する
例えば「サイコロをふって1の目が出れば1000円もらえる。1以外の目が出れば300円失うゲームをしよう」ともちかけられたとします。
サイコロをふってどの目が出るかは完全に予測不可能。だから予測すること自体無駄な労力だと考えるのが(1)の態度です。意味ないことに時間をかけるのならとりあえずやってみようとゲームに飛びつく。
(2)の態度をとる場合、サイコロの目は予測できないがどの目が出る確率も全て16%だと計算できる。するとこのゲームの期待値はマイナスになるからゲームに参加しないほうが定量的な分析に基づいて判断するのです。
私は「予測することを諦める」のは諦念、「起きうる出来事の起りやすさを分析すること」を執念だと思っています。
前者はどちらかと言えば日本的です。日本文化の底流にある仏教には「人生は思い通りにならない」という考えがありますが、その思い通りにならないことをコントロールしようとすること自体が虚しいという、そういう考え方が予測を諦める「諦念」に近いと思っています。
それに比べて後者は西洋的だと思います。予測できないと諦めるのではなく、科学的な手法で分析して意思決定に活かそうというその態度。ベルヌーイやガウスといった天才たちが確率論を発展させてきた背景には、科学的アプローチで複雑な現象を解明していこう、予測不要とあきらめず困難を切り開いていこうという「執念」があったのではないかと思うのです。
株式投資においても、株価のデタラメな動きをなんとか予測できないかという科学者の執念があったと思います。
株価がデタラメな動きをする。でもそこで諦めることはなかった。科学者はデタラメに動くからこそ、その性質を利用して将来の株価の確率分布を計算できることを発見した。そして確率分布の数学的性質を応用することでリスク管理手法やポートフォリオ理論を構築していったのです。
株価を研究した科学者たちが執念で築き上げてきた理論の集大成が、マルコビッツが提唱した現代ポートフォリオ理論でしょう。マルコビッツが導いた「最適なポートフォリオは時価総額加重平均ポートフォリオである」という結論は私にとって衝撃的でした。
「未来なんて予測できない。」と諦めるのはちょっと待てと言いたい。未来は不確実ですが、不確実に対処しようと戦ってきた人々がリスク管理手法や現代ポートフォリオ理論を築き上げたという歴史は、確かに我々の身近にあると思うのです。
不確実性に立ち向かうその姿こそが、ジョジョの奇妙な冒険の言葉を引用すれば、「人間賛歌」と言えるのでありましょう。
参考:
現代ポートフォリオ理論がどのように成立してきたか、理論の結果と実際の乖離を説明するために提唱された行動ファイナンスも紹介する良書。
ファイナンス理論全史儲けの法則と相場の本質【電子書籍】[ 田渕直也 ]
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