前回の記事を書いていて気が付いたことがあるんですが、
誰かの本だったかネット記事に「サイレントマジョリティが声をあげないと、声がデカい極端な一部の声だけが強調されて世の中がおかしな方向に進む」って書いてたんですよ。
その時は何を言ってるのかよく分からなかったんですが、下の引用を読んでいて繋がりましたよ。はなしが。
ものすごく心配な人は、こころの中が心配で満ちているわけですから、それを確かに言いたくて仕方ありません。
でも、真ん中の大多数の人は、すごく心配でもないが、完全に安心しきってもいない。だから、わざわざ「すごく心配でもないし、安心でもない」ということを人にいおうとしません。・・・
一方、極端に心配側に位置している人は、自分が声をあげなければ、心配が現実になり、自分や周りに人が不幸になってしまうと思っています。
だから、なんとかして、世の中にわかってもらおうと声をあげます。こういった事情から、世の中で聞こえてくる声の大部分は、分布でいう右端の人の意見になってしまいます。
引用部分にも書いてますが、多くの人はある事柄に関して「賛成 or 反対」の意見を持っているとしても、別にそれに対して声をあげないんですよ。
だって面倒くさいしメリットがないじゃないですか。職場で直面してる問題とか、子供の進学とか、テストの成績とか、明日の大事なクラブの試合にどう勝つかとか、そっちの方がずっとだいじなんです。
ただし私の感覚では、最近では常識的に「?」と思う言説がなぜか正論で多くの人の支持を受けているかのように報道されているケースが増えてきている気がしますね。
ファミマの「お母さん食堂」が「女性が台所で調理するのを連想させるからファミマに学生が抗議する」みたいな運動が一時期話題になって、フェイクだと思ってたら大の大人が協賛してたのを見てドン引きしましたよ ww ファミマもいい迷惑だな ww
こんな「?」な意見にサイレントマジョリティが声をあげないといけない、というのが冒頭の主張なんですが、なんだか呆れるしかないし時間とエネルギーの無駄なので、やっぱりサイレントマジョリティは誰も声をあげないかもしれませんね。(ああ言えば、こう言う的な人間も多いしな・・・)
引用した本:
心配学〜「本当の確率」となぜずれる?〜【電子書籍】[ 島崎敢 ]
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左端の方に、意図的に社会を混乱に陥れるために声を上げている人もいるよね