素晴らしかった本の紹介。内村鑑三の「後世への最大遺物」。本書は内村鑑三が明治27年に行った講演が元になっていますが、色あせない素晴らしい内容だと思います。人間は後世に何を遺せるか?という内容です。
この世の中をズット通り過ぎて安らかに天国に行き、私の予備学校を卒業して天国なる大学に入ってしまったなら、それでたくさんかと己れの心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。
死ぬ前にこの世に何かを遺していきたいという考えは、「人に記憶されて褒められたい」という、どちらかといえば私欲に近い考えがあるともいえますが、内村の場合は私欲よりも使命感に基づいた考えだといえます。使命感、つまり「せっかく生まれてきたからには世の中をよりよくしたい」という考えです。
では、人間は何を遺せるか?に話題が移っていきます。
人間は後世に遺せるものとして内村はまず金を挙げました。
冨というものを一つにまとめるというのは一大事です。それでわれわれの今日の実際問題は社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年問題であろうと、教育問題であろうと、それを煎じ詰めてみれば、やはり金銭問題です。・・・実業家が起こってもらいたいです。
金を後世に遺すと言うのは分かりやすい。本書では生涯かけて築いた金を孤児院建設のために寄付したフランス商人の例を挙げています。
とはえいえ、大金を後世に遺せるほど金持ちになるのは容易ではない。ほとんどの人は何も遺せないか子孫にちょっぴり遺産を遺せる程度でしょう。そこで他に遺せるものとして挙げられたのは事業です。
内村が例に挙げたのは土木工事、つまりインフラ整備です。自然を切り開いて街をつくり、ガス・水道を整備して人が暮らすための生活基盤を整備することは、間違いなく多くの人に貢献するし後世への遺産だと言えます。これも分かりやすい。
では、金を遺す才能もないし事業を起こす才能もない人はどうすればいいんだ?と多くの人は思うでしょう。内村の提示した答えは次の通りでした。
それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことができる、そしてこれは誰にでも遺すことができるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは勇ましい高尚なる生涯であると思います。・・・高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、・・・この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということであります。
この世が悲嘆なものではなく歓喜のものであることを実行して後世に遺す。ちょっとまだ分かりにくいですが、もう少し詳しい説明が次の通りです。
たとえ事業は小さくても、これらすべての反対に打ち勝つことによって、それで後世の人が私によって大いに利益を得るに至るのである。種々の不都合、種々の反対に打ち勝つことが、われわれの大事業ではないかと思う。・・・
後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のためには私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた・・・この心がけをもって我々が毎年毎日進みましたならば、我々の生涯は決して五十年や六十年の生涯にあらずして、実に水のほとりに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。
つまりは大きな資産を築くとか大きな事業を成すというより、たとえ小さなことでも努力すれば困難に打ち勝つことができる、というその姿勢が私たち誰でも後世に遺せる最大の遺産だというわけです。
例えば世界最大の時価総額を誇るアップルを創業して他界したスティーブ・ジョブズは間違いなく偉人です。でも、アップルのような世界的な企業を起こせなかったとしても、後世の人に「あの人は生きていた時に努力していた。人が見習うべき品性を身につけた人だった」と言われる生き方をすることが大切なのだと思いました。
そういった姿勢を見せることで、もっと人間的に優れた、もっと努力ができる人を増やすことができるからです。内村の言う「我々の生涯は決して五十年や六十年の生涯にあらずして、実に水のほとりに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくもの」とは、人が見習うべき良き習慣を後世に伝播させることで、これが最大遺物なのでしょう。
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