最近読んだ記事の話。
「日本の若者が深い友人関係を築けなくなった「決定的理由」」という記事。これはなかなか重いですね。。。
日本の若年世代の友人関係に関して、1980年代後半から深く関わろうとしない友人関係が台頭してきたその背景を考察した内容。興味ある人は記事を読んでいただくとして、ざっくりとまとめると、
(1) 70年代以前:友人関係は会社や地域の付き合いから生まれていたので、「友人関係の解消」という不安がなかった。
(2) 80年代以降:友人関係は「自由で自発的なもの」に変わる。そのために自発的なコミュニケーション能力が要求されるようになる。
(3) 90年代以降:携帯電話の登場。友人と空間を共有する必要性がなくなったため、積極的にふるまわないと、友人関係が維持できなくなる。
(4) 2000年以降:SNS登場。友人関係がデジタルで可視化。フォロワー数、「いいね!」数、所属グループ、自分が誰を遊びに誘ったか、相手から返信が来たか来てないか、全てが可視化されて筒抜け。
(1)~(4)の変化を分かる通り、要求されるコミュニケーション能力がどんどん高まっていくんです。
だって能力が低ければ、友人関係を維持できないし、失敗したことが筒抜けだから相手にバカにされるかもしれないから。
記事の言葉を引用すると、友人関係が「開放的で楽しい」という感覚よりも、「付き合っていくためには気を遣わないといけなくて心配」という側面が強くなっていく、というのはなかなか頷けます。
というか私もほとんど同じ感覚です ww
しかし今では若者には将来像は不安定なものに映り、恋愛・仕事・友人……あらゆる人間関係を得るために何かしら「自分を磨け」と言われ、語学や資格の勉強からコミュニケーション能力、身だしなみまで、さまざまな場面で自分の実力を証明させられ続ける社会のなかにいます。そうなると弱い部分はとてもじゃないけど他人には見せられない。
私がなんとなく感じていたことを元記事は見事に言語化していますね。「自分の実力を証明させられ続ける社会」。
私が中高生のころ同級生との競争と言えばテストの点数とか部活のレギュラー争いとか、その程度でした。「自分磨き」なんて考えたこともなかったです。たぶん鼻から鼻毛とか出まくってたと思います。
まあ、そういう社会をスマホもSNSもない昔に戻すのはもはや無理なんで、何に力入れるか(勉強?スポーツ?友人?恋愛?)優先順位つけて頑張れとしか、私からは言えないな ww
私も社会人になったときはコミュニケーション得意な同僚に囲まれて、自分の能力のなさに愕然とすることもありましたが、優先順位を意識するようになってからはかなり気持ちが楽になりましたよ。勝てない分野は勝てない。無理なものは無理だと ww
人間関係で楽になりたいなら、コーヒーでも飲みながら「嫌われる勇気」読むのがいいかも。
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ]
幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え2 [ 岸見一郎 ]
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