私は寺社仏閣を見に行くのが好きです。
もともと人が多くて混雑している東京は好きではないのですが会社が都内にあるのだから仕方がない。というわけで毎年実家に帰省するときは近くの寺や神社を見に行くのが好きなんです。
寺といえば仏像ですが、私が色々見てきた中でも明らかに他の仏像と違う雰囲気をもつのが奈良の法隆寺にある百済観音。
ある本を読んで興味が湧いて見に行ったのですが、明らかに異様な雰囲気をもつ仏像です。見る角度によって妖しさ、厳しさ、優しさ、違う雰囲気が醸し出されるまことに不思議な仏像です。
今から1400年前の飛鳥時代に製作された国宝。1997年に日本とフランスがお互いの国宝を相手国に展示するという国宝交換展が開催されたのですが、日本側からルーブル美術館に送られたのがこの百済観音。いわば国宝中の国宝というわけです。ちなみにフランス側から日本に送られたのがあの有名な「民衆を導く自由の女神」。
百済観音が異様なのはまず絶妙な大きさ。高さが210cm。私はこの背の高さが絶妙だと思っていて、奈良の大仏みたいに大きすぎると大仏って感じがするし、小さい仏堂でもフィギュアみたいな感じがする。ところが210cmだと「気持ち悪いくらい背が高いけど、もしかしたらこんな飛鳥人がいたのかも」となんだかリアリティを感じる大きさなんです。
そしてこの体型と姿勢。厳しい修行をした釈迦を模した仏像は数多くありますが、この妙にスリムなモデル体型、脱力してダラリと下げた水瓶をもつ左手、笑っているのか泣いているのか分からない顔。全てが妖しいのですが、実際に直面すると胸騒ぎがするんです。でもずっと眺めているとその胸騒ぎが癒しに変わる。まことに不思議な仏像なんです。誇張してませんよ。本音です。
百済観音には謎が多く、作者が不明。モデルが不明。もともと他の寺にあったものを何故か法隆寺に移したらしく、西暦1600年に初めてその存在が古い文献で言及される。
それまでどこにあったのか、何のために作られたのか、なぜ製作されて1000年間も文献にでてこないのかは謎なんです。歴史ミステリー作家の関裕二氏は百済観音のモデルは古代の豪族、蘇我氏と政治的主導権を争った物部守屋ではないかと推理しています。
さて、社畜の投資ブログでなぜ仏像の話なんかするんだ!?と思われるでしょう。私も思います。私は一体何の話をしているのか?と ww
自分のお気に入りの仏像を見つけて手をあわせる対象として記憶しておくのは大切だと思うんです。
とにかく現代社会は疲れます。会社に行けば結果出せとケツを叩かれます。ニュースを見ればネガティブなものばかり。必要なのは癒しです。癒し。
人間が真に癒しを感じるのは、古代から変わらず、崇拝対象に無心で手を合わせるときだと決まっています。特に災害に翻弄されてきた日本人は。
何かの本に人間の一番美しい姿は(宗教がなんであれ)謙虚な気持ちで祈るときだと書いていました。私も30代半ばですが、やっとその意味が分かってきましたよ。
手を合わせましょう。仏像に。合理性だけを追求する世の中に身を置けば、人間は合理性の荒波に引き裂かれてしまいます。生きていくうえで重要なのは泰然自若です。謙虚な気持ちで仏像に手を合わせれば落ち着きは自ずと身に付くでありましょう。
株価の上昇・・・ゲフン、ゲフン。いえ、世界経済と私自身の健全な発展と成長を願って。
合掌。
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