働くことは、辛い。
仕事の内容は高度化し、複雑な業務をもっと早く、もっと効率的に、ミスなくこなすよう、社会は私に要求する。
要求を満たすことができなければ「役立たず」と烙印を押され、給料も下げられ、生きる糧を失う。
ミスで周りに迷惑をかけたり、客からクレームされたり、上司からパフォーマンスの低さを叱責されたり、部下から頼りなさに呆れられたりして、
苦い記憶が頭の中をグルグル回って、眠れぬ夜を過ごし、胃酸が沸き上がる朝を迎えたことが何度あるか?
何故、私は働くのか?
人生の酸いも甘いも経験してきた賢人たちは、労働をどう捉えてきたのか?
一分間さえ休む暇のないときほど幸せなことはない。
働くこと、これだけが生きがいである。
ファーブル「昆虫記」
人を偉大にするものはすべて労働によって得られる。
文明とは労働の産物である。
スマイルズ「自助論」
蚕は糸を紡ぐにつれ、だんだん死に近付いてゆくが、それでも糸を紡がずにはいられないのだ。
ゲーテ「タッソー」
仕事が楽しみならば人生は極楽だ。
仕事が義務ならば人生は地獄だ。
ゴーリキー「どん底」
人間の本性というものは、彼が同胞の完成、同胞の福祉のために尽くす場合にのみ、自己の完成を遂げ得るように出来ているのである。
マルクス「職業の選択にさいしての一青年の考察」
何の仕事にも携わっていないことは、この世に存在していないことと同じである。
ヴォルテール「格言集」
生きるということは何か特定のことをなさなければならないということ、一つの任務を果たすことである。
我々がその生を何かに賭ける事を避けようとすればするほど、我々は自己の生を空虚にしてゆくのである。
オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」
賢人たちも、私にもっと働けと、けしかける。
マルクスは若干17歳のときに、働いて人に貢献してこそ自分という人間が完成すると書いた。
ゴーリキーは、仕事を義務と感じるなら人生は地獄と言う。仕事を好きになれということか。
ヴォルテールは、仕事してない人間は存在価値すらないと言い切っている。
賢人たちの言葉は厳しい。
だが心地よい。
心地よく感じるのは、私が社畜だからだろうか。
たとえ社畜でも、仕事に意味を見出しその完遂に全力を尽くせば、
オルテガの言うように自己の生を充実させ、
マルクスの言うように私自身を完成させることができるだろうか?
出来ると信じたい。
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