面白い本からの抜粋。
物事の良し悪しを判断する際は、判断の基準となる座標軸が必要です。特に他人と議論する際は「座標軸」が明確でないと会話がかみ合いません。
高橋洋一氏の「なぜこの国ではおかしな議論がまかり通るのか」からの抜粋。
物事を的確に評価できない人には、座標軸をもっていないという特徴もある。判断の基準となるモノサシがないため、いきなり各論から切り出してくる。テレビ番組に呼ばれて、司会者と筆者との会話が噛み合わなくなるのは、たいていそういう場合だ。
じつは経済学者のなかにもモノサシが定まっていない人がいる。「ダメだ」「けしからん」というトーンで論評はするものの、その数字に、どの程度のウエイトを置いて評価しているのかが少しも見えてこない。
たとえばリベラルを自称する学者が、雇用の話をするときに「非正規率を」持ち出してきたりする。非正規社員が増えている現状は、ほんとうに雇用が改善されたことにはならないという理屈だ。
「なるほど」と感じた人は、気を付けた方がいい。こういう定性的な材料を定義するから、おかしな議論になる。雇用を分析するときは、「就業/失業」というモノサシが重要であって、「正規/非正規」を区別したら、論点がズレてしまう。「非正規社員がかわいそうだ」といった感情論は、雇用政策とは別の話しだ。
・・・おかしな議論の多くは、結局はアベノミクスを批判したいだけの人たちが仕掛けている。もっとも目的そのものが分析ではなく批判であるならば、定義、前提などはどうでもいいのかもしれない。
筆者は政策を評価する際の基準を明確にしていて、経済政策であれば「雇用の確保が出来ているか」と「所得が上がっているか」を6:4の重み付けで評価しているそうな。加えて安全保障に関する評価軸は「戦争リスクが低くなったか」。これらは全て統計データを分析すれば点数をつけることができます。
本を読んでいて、職場にいる頭がいい人はこの能力に長けていることに気がつきました。頭のいい人は物事を判断するときの的確な評価軸を設定するのが上手い。もっというと、彼らは職場の会議で議論がまとまらないときに、参加者がそれぞれもっている評価軸が違うことを察知して軌道修正する能力があるんです。
簡単な例を挙げると「私はコストの観点で話してますが、あなたは納期の観点で話してますよね。まずはコストの観点で評価してから納期の話に移りませんか?ごっちゃにすると話がまとまりませんよ?」というふうに。
逆にいうと、バカな人の特徴は、感情に基づいて間違った評価軸でしか物事を考えることができず、しかも議論で他人との評価軸の違いを察知できずに延々とムダな議論を続けてしまう、でしょう。
この考えはなかなか役に立ちそうです。
高橋洋一氏の「なぜこの国ではおかしな議論がまかり通るのか」。タイトルは過激ですが、頷ける内容はかなり多いです。
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その人たちの評価軸はそんなまともなものですらないよ。
ライバル政党がやったら悪
それだけでしょ
右も左も
dedsさん、
「その人たち」って誰ですか?よく分かりませんでした。
あと、一点お願いがあります。よくコメント頂いてありがたいのですが、そろそろタメ語でコメントされるのはやめて頂けませんか?
あまりいい気分ではないです。
もし納得いいただけないのでしたら、今後はコメントは控えてください。お願いします。
いわゆる、「論点が違う」ってことですね。論点…いや、要点?
ブログ等やっていると、よく「今その話関係ないでしょ?」と言いたくなるようなコメントを貰う場面に直面します。
いえ、もちろん、こちらの書き方が悪い場合もあると思いますが…。
投資で言えば、「この商品はリスクが高いがリターンも高いから投資したい(勝負したい)」といえば、「そんなリスクの高い投資があなたにできるはずがない!」というような…。
コメントありがとうございます。
>ブログ等やっていると、よく「今その話関係ないでしょ?」と言いたくなるようなコメントを貰う場面に直面します。
コメントしたその人は、記事本文を読んでいないがとりあえず何でもいいので難癖つけたいのだと思います。マスコミみたいなもんです。
もし真面目に議論したいのにそんなことをしてるのであれば、国語力を欠いていると思います。
どちらにせよ人に意見を伝える努力をすべきですね。