中公新書の「正義とは何か」の「まえがき」が面白かったので引用。
不安な時代において、いかにして<私>が人生の荒波を泳ぎ切るか・・・これに関する道徳的判断にはさまざまあり得ることを指し示すサンデル流のスタイルが、<君は君の正義を貫け。私は私の正義を貫く>という「正義」の私的利用を称揚してしまったのかもしれません。
しかし、<君は君の正義を貫け。私は私の正義を貫く>というスタンスでは、私たちに「先行きへの、そこはかとない「不安」を感じさせる社会問題を解決することはできません。サンデル・ブームの熱は過ぎ去り、「先行きへの、そこはかとない「不安」」は確実なものとなり、さらにはニヒリズム(虚無主義)が進行する中、人々はますます無気力をおぼえています。
不安な社会で虚無主義に陥った<私>が生き延びるためには、「勝ち組」になって市井の人々との日常と無縁の生活を送るか、リスクを最小限に抑えた「為さない・持たない」生活を送るかではないでしょうか。あるいは人生が上手くいかない理由を特定の他者の存在に見出すことで、辛うじて自己肯定感を保つことになるのかもしれません。
すると社会は分断され、憎悪と不寛容がはびこり、民主主義はますます危うくなります。
虚無主義に陥った人間を3パターンに分けています。「資産運用」とか「社畜」をテーマにブログを書いたり調べ物をしたりしていると、これら3パターンに分類できる人が多いことに気が付きます。
(1) 「勝ち組」になって市井の人々との日常と無縁の生活を送る → 金融リテラシーが高く、リスクをとった資産運用に積極的。セミリタイア志向が高く、サラリーマンをバカにする傾向が高い。
(2) リスクを最小限に抑えた「為さない・持たない」生活を送る → 節約意識が高い。物を持たないことを美学とする。ミニマリストと呼ばれる人々。大量消費時代、いわゆる昭和的な価値観、働き方に否定的。
(3) 人生が上手くいかない理由を特定の他者の存在に見出すことで、辛うじて自己肯定感を保つ → ネットで誹謗中傷したり、過度なクレーム行為をする人々。
思うに「無駄な会社の飲み会には参加せず、節約して貯めた金を投資にまわす。出世は興味ないので会社は辞めたくなったら辞める。」というスタイルはその割合に差があれど、(1)と(2)のハイブリッドなんだ思います。運用方法など価値観の違いで排他的になったときは(3)が混じることもあり。
重要な点はその背後に虚無主義(ニヒリズム)があるということ。 哲学的に言えば、「人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがない」とする考え方。今回の文脈で言えば、「社会や他人は変えられないし、関わったところでロクなことがない」。
私自身、自分を分析すると(1)と(2)が同程度混じったハイブリッドで、ただし社畜は受け入れるという少し例外的なカテゴリーに分類されると思っていますが、その根底にはやはりちょっとした虚無主義があるのではないかと思っています。正直言うと仕事以外で人との関りは少ないし、流行りも興味ないし、自分が他人を変えられるなんて思っていません。(ただし利害が関われば積極的に動く。)
そう考えると、資産運用に積極的な人、セミリタイア思考者には虚無主義が強いという仮説はあながち間違いでないと思います。
いつも楽しみに拝読しています。
個人的にはその3タイプの方々は、独身者や独り者(パートナー無し)な方が
多いような気がするのは、私だけでしょうか?
コメントどうもありがとうございます。
詳しく調べたわけではないので感覚でしかないのですが、独身者に多いような気もしますね。
妻子なしやパートナー無しなら守るべきものもないので、ニヒリズムになりやすいかもしれません。